暑かったので。
以下、小話。
凍ノ杜にある、個人経営の小さな美容室『グラジオラス』。
美容室と言うよりは何処かカフェテリアのような雰囲気を抱きこんだその空間で、不意に小さな機械が軽い振動と共に音楽を吐き出し始めた。
それの持ち主はポケットからそれを引っ張り出すと、液晶に表示された文字を確認してから通話ボタンを押し、耳にあてがう。
「もしもし?」
『――あ、カナメさん?今ヒマ?』
「ええ。どうかしたんで?」
電話の向こうから聞こえて来たのは、少し中性的な若い娘の声。
相手の名は飛鳥雷蔵。通称、アスカ。
性別はれっきとした女であるが、色々と事情があってわざわざ男の名前に改名した娘だ。
『良かったー。ちょっと髪切って欲しいんだよね。ほら、なんか最近暑いからさー』
「あァ、お安いご用で。今から来ます?」
『うん。そんでね、切って欲しいのは私のじゃなくて――』
*
チリン、という音と共に扉が開く。
それに顔を上げたカナメは、その端正な顔に莞爾な笑みを湛えて客人を出迎えた。
「やっほー、カナメさん。いきなりごめんねー」
「ああ、いらっしゃい。お二人さん」
「……」
片手を上げて明るく挨拶したアスカは、迷うことなく店内を進み、勝手にソファにぽすん、と腰を下ろす。
それとは対称的に、彼女に引っ張って来られた男は、扉の近くで立ち止まって眠たげな目を伏せて黙礼してきた。
あまり扉から離れないのは、何年経っても相変わらずだ。
もはやこの男の習性のようなものである。
「――で、紅時。何かご希望は?」
「……無い」
カナメに視線で促されようやく扉から離れて椅子に腰を下ろしふるふると首を振る紅時の後頭部を、アスカの言葉が殴りつけた。
「カナメさん、思いっきりバツーンとやってスッキリさせちゃってー。もー……髪質の所為か見てて暑苦しいんだもん」
「確かにお前さんは髪自体は柔らかいがちょいと癖っ毛だからなぁ……髪縛ったりはしないんで?」
「……特に邪魔でもない」
「ほほぉ、だから縛るのも面倒くさいと」
「……」
こく、と黙って頷く紅時の髪を適当に櫛で梳き、小さく苦笑する。
それからカナメは振り返って、ちょうど雑誌の棚に手を伸ばしていたアスカに言葉を投げた。
「アスカ。お前が強引に引っ張って来たんだ、そこにある雑誌でも参考にして、どういった仕上がりにするのか考えな」
「あ、それね。ちゃんと考えて来てるんだー」
待ってました、とばかりに鞄から一枚の折り畳んだ紙を取り出すあたり、ちゃんと予測出来ていたらしい。
先ずは流石と言うべきだろう。
紙面の内側の内容は、どうやら幾らかの画像のようだ。
「ライト君に頼んで、イメージを大まかに纏めて、いろんな所から幾らか近い写真を出して貰ったの」
「何やら防犯カメラのようなアングルが多いですねェ」
「うん、監視システムから引っ張ってきた奴が殆どだから」
爽やかな笑みと共にさらりと吐き出される事実に、やはりか、と呟く。
「……ハッキングさせたな……」
「こんな事で特A級ウィザードの手を煩わせるとは――ある意味稀な存在、ってやつだな」
「やだなぁ。そんな褒めないでよ、二人共」
「呆れてるんですよ」
一言ぴしゃりと言い放ってから、カナメはケープとハサミを手に取った。
そして流れるような動きで散髪を開始する。
実に手際良くハサミを入れながら、馴れた調子で会話は続けられる。
「第一、何でわざわざそんな変な所から引っ張って来たんで?ご自慢の自分の足を使えば良いじゃねェか」
「えー。面倒くさい」
「そりゃあいったいどの面さげて言う台詞ですかい? そんな事じゃァ流石の魔人でも太っちまいますよ」
「うわ、ひどっ!?容赦無ぇ!女の子にそりゃないよカナメさん!!」
「……お前の自業自得だ」
「紅時まで!? ――良いもん!サンジ君と浮気してやるー!」
お約束の展開に軽く泣き真似すらしながら店から飛び出し、アスカはおそらく特徴のある眉毛の青年の元へ走って行った。
途端に静まり返って流されていた静かなジャズが聞こえるようになった店内に、カナメの操るハサミの小気味良い音が響く。
「――こんなもんでどうでしょ?」
十数分程で仕上げてしまい、切った髪を払い落としながらカナメが訊いた。
「……軽くなった」
「結ばなくても良い程度まで短くしたし、サイドの方もだいぶ梳かしたからな。前髪はどする?もう少し切るかい」
「このままで良い」
少し機嫌が良くなった所を見ると、新しい髪型はどうやらお気に召したらしい。
「忝ない」
「はい、またどうぞ」
*
店を出たその足で紅時が向かったのは、レストラン『バラティエ』。
案の定その一角のテラスで、拗ねた様子――でもなく、悪戯にケーキをフォークで突っついているアスカの姿を確認し、彼女に歩み寄る。
ある程度まで近付くと、ゆるりとその赤にも近い程濃い、されど甘い桜色の瞳が、紅時を見た。
「やっぱり『アスリート』はすっきりしてなきゃね。よく似合ってる」
「……そうか」
「うん。やっぱカナメさん、良い腕してるなー。これで趣味だってんだから、吃驚だよね」
どうやら先程のやり取りでのダメージは毛の先程も受けていないらしい。
その事は、まるで淀みない歌の如く発せられる、珠のような言葉を見ればよく分かった。
そして彼女は、飽きもせず、どこかひねくれた台詞を付け足して笑う。
「それにしても……セルティ・ストゥルルソンみたいな平和島静雄って感じだね」
「…………?」
後日、用事があって池袋周辺に通りかかった紅時が、板前の格好をした巨漢の黒人やら、ヘルメットだけが派手で残る全ては黒尽くめという奇妙なライダーやらに声をかけられる姿が見られたと言う。
[AotenRow あ゛ーー 暑い キュウゾウを静雄ヘアーにしたい(唐突]
――という訳で、紅時が静雄ヘアーになりました。
長髪の設定も有ったんですが、短いのもすっきりしてて良いんじゃね?と……
暑かったので思い至った次第で。
最後にちらっと影が出て来たのはサイモンとセルティ。
たぶんセルティは若干あたふたしたと思います。というかそうならかわいいぜ。
拍手ありがとう御座いました!
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